ウナるなみ

「引っ越してしまいましょう」

 銭湯からの帰り路、わたしよりも背の低い母は突然そう言った。

 ええ、どこにさ?と素っ頓狂な声を出してみたけれど、彼女はおどけてみせるわたしの声に反応するでもなく、夜空に浮かぶ真ん丸の月を見つめていた。彼女が突拍子もないことを口にすることなんていつものことだけれど、私はつるりと丸い母の顔を横目でちらちらと眺めた。

 母が息を吐く度、白い息が彼女の睫毛にからまっていく。それが凍っているように見えて、ああ、早く帰らなくちゃ湯冷めしちゃうなあ、なんてことを思っていた。

 わたしが一人で銭湯まで歩くには20分もかからないのに、母はびっくりするほどゆっくりと歩くから、その倍の時間はかかってしまう。

 いつまでもわたしは子どもじゃないのにと、無駄な優しさにいつも唾を吐きかけたくなる。わたしは母の手を掴み、冷たくなった手の平の温度を確かめると、ひえちゃったね、早く帰ろうか、と母の手をひっぱろうとした。そんなことをしているから、わたしは年がら年中、肩こりを引き起こしている。

 閑静な住宅街だ。歩く人はわたしと母しかいない。宇宙の先に佇んでいる電信柱とか街灯ばかりが、歩く先を示してくれている。それらが頼りだ。時折、どこかの家やアパートから人の笑い声や叫び声が聞こえてきて、心臓が掴まれてしまう。そんなときはわたし達と違う生き物であることを必死に探す。簡単なことで良い。わたしはくしゃみを吸い込む牛みたいな笑い声をださないとかハスキーボイスで怒鳴り声をださないとか、そんなこと。そうすればわたしと同じ人間じゃないから何も怖がる必要がないって思って脈拍をもとに戻せる。

「ねえ、お母さん疲れちゃうなあ」

 母が私の握る手を左右に揺らして抗議している。ゆうらゆうら影も揺れている。繋ぐこぶしは水の玉とか死骸とか。そんなものでも糸を保ってくれてるんだから感謝しなくてはいけない。

「そうだね、でも早く帰らなきゃお母さんが風邪をひいちゃうよ。1日ずっとお布団にいるのはいやでしょう?帰ったら、足を揉んであげるから、ちょっただけ頑張ろう」

「えー、大丈夫よー、りんちゃんだって疲れちゃうでしょー」

「わたしはね、もう疲れたとかそんなとこにはいないからわかんないなあ」

  体には正しい動かし方というものがある。わたしは母と再び暮らしたその翌年に気づいた。筋肉の筋を正確に動かし、血と細胞の流れを意識すると体は流々に動き出す。空気を割く波の流れをにのってしまえば1日なんてあっという間に終わる。ずいぶん、楽になった。魚や鳥はその一瞬に身を任せているから、自由に体を動かせているのだと思う。わたしもああなりたい。進化を求めるよりも退化を求めている。でも、それでもいいじゃないか、と。上手くいかなかったら一手前戻るとかしてみても。そこからもう一度生きるとかしてみても。後ろを振り返ってばかりの人生だって正しいはずなのに。

治るとか、治らないとか必要なことじゃない。そんな二択を迫られること自体、おかしいよね。わたしは退化していくことに身を任した母が前よりずっと好きだよ。

 母はずっと昔、祖父と2人で海辺に住んでいた。寄せ集めの水たまりに満足なんてしていないから、あなたはそこに帰りたくなる。浴槽に溜まる脂と垢にまみれたお湯でもないし、シンクにはった水道水でもない。そんなもので体は洗い流せない。

「これでいいんだけどなあ」

 月に向かって言ってみる。

「ここはやなんだけどなあ」

 言葉が繰り返される。

 笑いながらわたしは息吐いて、肩にのっかる重みを揺らした。